それは、わたしたちに幸せな未来を運んでくれるもの。
すべては夢からはじまります。
それは、夢に命を吹き込み、実現へと加速させるブースター。
情熱がなければ、夢は夢で終わってしまいます。
あなたがいま、どんなにボロボロでも、お金がなくても、人脈がなくても、どんな仕事をしていても、大丈夫。夢と情熱と、早川周作マジックがあれば、夢は叶います。
12月17日。
“夢実現のスペシャリスト”、早川周作が、
2010年を飛躍の1年にするために、この日は何があっても仕事を切り上げ、
TERAKOYAに来てください!
こんにちは、学びのワンダーランド-TERAKOYAの柳田厚志です。
と聞かれたら、あなたは即答できますか。
「昔は持ってたけど…」
「恥ずかしくて人に言えるようなものでは…」
「夢が見つからない…」
おそらく多くの方が、このような状態ではないでしょうか。
では、子供たちに次のように聞かれたら何と答えますか?
多くの方が、「もちろん夢は叶うよ」って答えてあげると思うんです。
子供たちには「夢は叶うよ」と言いながら、
自分の夢をおろそかにしているのは少しおかしな話ですよね。
TERAKOYAの活動理念 『日本人の幸福度を世界一に!』 を考えたときにも、
やっぱり「夢」の持つ力がすごく重要です。いや、
なにも夢が重要なんてありきたりのことが言いたいのではなく、
「夢」を持ち、「夢」を語り、「夢」を実現させている大人が増えることが、
子供たちに「夢」を与えることにつながり、日本の幸福度を押し上げると思うのです。
「確かにそのとおりだけど、今の日本でそんな大人少ないでしょう…」
ごもっともです。
でも、ここにいたのです。
それが、夢実現の応援団長・早川周作氏です。
早川氏に会った第一印象は、「ごく普通の人」という感じでした。
でも、10分も話を聴けば、第一印象は270度ぐらい(笑)変わりました。
そして、多くの人がそうであるように、すっかり早川氏の魅力に虜になってしまいました。
15分でいい。
あなたも早川周作の話に耳を傾けてほしい。
話を聴けば、「私の夢も叶うかも」 と強く実感できるはずです。
そんな自信と希望を与えてくれる力が、彼の話には溢れています。
論より証拠。
先日行われた、早川周作氏のミニセミナーをまだお聴きでない方はどうぞ無料で聴いてください。
既にお聴きいただいた方も多いと思いますが、このミニセミナーの収録でも、
いわゆる“早川マジック”が起きました―――
このミニセミナーは、とある会社の社内スタッフ向けに行われました。
仕事終わりに、社長命令で半ば強制参加させられたスタッフのモチベーションは当然高くはありません。
早川氏が登壇しても、「誰、この人??」というような少し寒い空気が流れていました。
彼が話しはじめても、最初はみな真剣に聞いていませんでした。
ところが15分後
全員の顔つきが変わっていました。
あるものは目を輝かせ、あるものはノートを引っ張り出して
メモを必死にとりまくっていました。
約1時間のミニセミナーはあっという間に終了。
鳴りやまない拍手が、早川周作が、
全員のハートをガッチリつかんだことを雄弁に物語っていました。
もちろん私は、最初からこうなることがわかっていました。
なぜなら私自身も、早川氏の講演を聴いて、文字通りハートに火がついた1人だったからです。
早川周作氏との出逢いは本当に偶然でした。
何名かの先生が登壇する、あるセミナーで、
たまたま話を聴く機会があったのがはじまりでした。
正直、この時は早川周作という人物をよく知らなかったし、
「夢」という、いわゆるありがちなテーマだし、ありがちな内容だろうと思い、
ほとんど期待せずに聞いていました。
それが、10分後、前のめりで傾聴していました。
これが“早川マジック”です。
圧倒的な情熱と、夢実現への緻密な戦略をハイテンションで語る早川氏に
釘づけになりました。心臓がドキドキしました。
「こんな人が日本にいたのか!」と驚くと同時にうれしくなりました。
セミナー終了後。
「ぜひ、TERAKOYAに出てください!」
気がつけば、情熱を持って口説いていました。
なぜ、早川周作をTERAKOYAに強烈に呼びたいと思ったのか、
理屈ではうまく説明できません。
でも、恋愛中に「なぜこの人と付き合ってるのか」
と聞かれても答えられないように、
ただ、「この人の話をできるだけ多くの人に聞いて欲しい!」
そう強烈に思ったのです。
早川氏は、19歳で死を覚悟するほどのどん底を経験しながら、
たぐいまれなプラス思考と情熱で、次々に夢を実現してきました。
「20代で国政選挙に出る!」
「日本最大のベンチャー経済団体を作る!」
「個人の夢実現を応援するプロジェクトを立ち上げる」
…など、夢を持ち、夢を語り、夢を実現させてきた、文字通り、
“夢実現のスペシャリスト”です。
また、自分の夢だけではなく、個人の夢実現をサポートし、
ベンチャー企業の業績をサポートし、
そして日本経済、日本社会を変革しようとする、
まさに「夢実現」の応援団長です。
それを自らの人生で体現し、多くの会社、個人をサポートしているのが早川周作です。
だから―
夢が持てなくて悩んでいる人にも、
夢を見ることも、語ることも忘れてしまって、いま下を向いている人にも、
夢を持って実現に向けて走っている人にも、
必ず、ひとつの壁を超える具体的な力をくれる、そう思ったのです。
なぜ、そう言いきれるのか?
なぜ、早川周作は、次々に夢を実現できるのか?
なぜ、早川周作は、あなたの夢実現の強力なパートナーなのか?
その答えは、彼が夢を掴んできたこれまでの経歴にあります。
日本リーディング総合法務事務所 代表
株式会社 プロFPJapan 代表取締役
その他、多くの会社の役員を兼任
1976年12月17日、秋田県に生まれる。
建設業を営む裕福な家に生まれ、何一つ不自由のない少年期を過ごす。
またひとよりもやんちゃな小中学生時代を送り、
その結果、受験した高校がすべて不合格になるという挫折を経験する。
土木作業員として社会の荒波にもまれる中、向学心に芽生え高校受験を決意。
努力の甲斐があり、故郷秋田を離れ、千葉県の進学校に見事合格。
厳格な掟に縛られた高校生活を送る。
そんな恵まれていた生活が、ある日突然何の前触れもなく終わりを告げた。
家業の建設会社が倒産し、父が蒸発した。
すべてを失い世間の冷たい風が、容赦なく親子二人に吹き付ける。
親戚縁者はもちろん、行政も二人を助けてくれなかった。
「お前らなんかに住む家はなくてもいい」そんな言葉を浴びせられ、無理心中寸前まで親子は追い込まれた。
そんな中、救いの手を差し伸べたのは一人の法律家だった。
「ここで死んでは何のために生まれてきたかわからない」と土壇場で立ち止まり、
「自分と同じような境遇の人を救いたい」、そう誓いを立てて、
前向きな上昇志向で、大学進学を目指して上京。
朝の新聞配達から深夜の皿洗いまで、アルバイトをして学費を作り、
六法全書を抱えて、自分を助けてくれた法律家のようになるべく夜間の大学へ進学。
法律家を目指していたある日、ひとつの転機が訪れる。
級友に弁護士との会食を誘われた。千載一隅のチャンスを逃してはなるものかとくらいつき、アルバイトであるが法律事務所で働くこととなった。
手に入れたチャンスを逃すまいと必死に働いた。
ある時、事務所の経営者からなぜそんなに働くのかと聞かれた。
「母親と二人で生活できるようになりたい。」
うそ偽りのない素直な気持ちで答えた。
その言葉をきっかけに新たな仕事が与えられた。
ここでも働きに働いた。昼も夜も、オンもオフも関係なく働いた。
その見返りは学生の身分では考えられない額の報酬になって返ってきた。
それだけではなかった。もっと大きなチャンスの女神が再び目の前を横切った。
投資家から数千万円の出資の話が来た。
ためらうことなく、そのチャンスを掴み取った。
大学生でありながらも、不動産会社を立ち上げた。
社長になったといっても、コネがあるわけでもなく、金があるわけでもない逆境だった。
午前6時から午後10時まで足を棒にして、一軒一軒のオーナーを回った。
炎天下の中でも回った。冬の日でも回った。水をかけられることもあった。
そうした苦労が報われた。
しかし、会社が成長するにつれて、ある疑問が頭をよぎった。
「このまま上場することだけを考えていいのだろうか、
それが社員の幸せにつながるのだろうか?」
誕生から見守り育て上げた会社を人手に渡すこととなった。
一方で、平成という時代の歴史においてかつての政権交代に
大きな役割を果たした元首相の二人の存在は大きなものであると常々考え、
元首相の二人に直接対面しようと考えた。
元首相に出会ったときに、新しい世界が目の前に開けた。
次の舞台は政治だと直感的に悟った。
父の蒸発をきっかけに、国や地方に何もしてもらえなかった経験と、
蒸発した父のように事業に失敗するとセカンドチャンスがないこの国の行政に対して、
「嘆くぐらいなら自分が変える!」と決意。
体当たりで懇願した。元首相からは「君の目なら政治家になれる」と言われ、
元首相の秘書として2年半勉強しつつも、虎視眈々と羽ばたく機会を待った。
その時はついに訪れた。
鳥取という縁もゆかりも無い地で郵政選挙という
とてつもない逆風が吹き荒れる中、
大臣を勤め上げた大物二世議員に挑んだ。
しかし、大きな壁の前に敗れ去った。
捲土重来を期するべく、再び挫折から立ち上がった。
現在は80社もの顧問会社を持ち、日本最大の規模を誇る
ベンチャー企業交流会『ベンチャーマッチング交流会』を主催する一方で、
夢を持てなくなった大人たちへのサポート活動にも力を注ぐ